ジュラルミンボルトでポッキリ

ynfp2005-10-30

松本のパスには背面キャッチをしやすいような配慮がなされています。

どうもこんばんは。
4週連続の土曜の雨で、盛り合わせるものも盛り合わせられない盛合です。
関東では珍しい苗字な為か聞き違われることも多く、たまには偽名を使いたくもなります。罪のない範囲内で。森合でも守屋でもないんです。

―――それでも手紙は、やってくる。

郵便、宅急便の柔軟さに日々驚かされています。盛合です。

現在YNFPでは次期マシンの構想を練っているところですが、'05大会以来機械いじりから遠ざかっているかといえば僕はそうでもなく、研究室で他の人がプログラムを組んでいる傍ら、ハンズで買った木材でギコギコやってたりします。最近はというと、サスジオメトリ検討に役立ちそうなモデルを作っていました。専用のコンピュータソフトを用いれば特性が瞬時に計算でき、それはそれは便利なのですが、いつもキーボードとマウスに置いている手を時には模型に移し、体感的に理解することも、きっと大事なんだと思っています。これはF-saeを通して、解析技術の有効性と共に実感したコトです。つまり何が言いたいかというと、そのうち机の上にDIY道具が増えてきそうだ、ということです。

他には、フォーミュラカー作りに明け暮れるあまりおろそかにしていた自分のバイクのメンテナンスを、時間を見つけては進めています。土曜の雨が恨めしいのはそのためです。フレームむき出しにバラして、部品を清掃したり劣化した部品を交換したり。フォーミュラの活動を通して、苦手だった電装部品にも手を出せるようになりました。というか、そうなっていました。自分のバイクのフレームにタップ(M6,ピッチ1.0)立てしたり、ギボシ配線をカプラー仕様に変更したりする姿を、以前の僕がどうして想像できたでしょう。長い間ノーメンテナンスでも大きなトラブルを起こさない工業製品としての信頼度の高さもあるのですが、工具片手に分解や組み付けをしていると、その車両の設計思想と言いますか、「ココの部品はこうだからこうしたんだ」という配慮が以前にも増して自分に訴えかけるのです。これは自分で実際にモノを作ってみて初めて分かることなのだと思います。それを自分で理解した上で整備し、部品を交換、加工するときにはそれに沿うようにやらなくては。そんなことを思うのです。僕達の作るマシンも曲がりなりにも製品。そういった思想の重要性も学びました。つまりこの段落で僕がいいたいのは、そろそろマイ・トルクレンチが無いと不安だ、ということです。

他にもいろいろ書きたくなりましたが、あれですあれ。

閑話休題。これです。


YNFPのメンバーが行けたり行けなかったりのモーターショウですが、ワタクシ盛合は行けそうな人です。最寄の駅でカードがあるからです。会場でサミットカードを発動してあげたい優しい人なんです。そういえば、僕がFormula-SAEを知ったきっかけは2年前のモーターショウでした。これについて詳しく書きたいところですが誌面の関係上割愛させていただく次第です。

明日は稀代の餅チョコフリーク菊地が、

大学生協における餅チョコの在庫数とプレゼン時のネクタイの相関」
「ワタシのバイクでエンデュランスを完走するために」

についての研究中間発表をしてくださるそうな。
それでは、さようなら。