大会最終日

ynfp2005-09-09

この日で大会は終わりです。


最終日、残す競技はエンデュランスのみ。マシンチェックを終えたらドライバーに任せるのみです。この競技のドライバーも吉田・国谷です。うちのチームのドライバーの特徴は、2人のレベルが高いところで平均しているということです。1人目のドライバーが凄く速くても2人目のドライバーが遅いというチームに比べて、その速いドライバーには敵わないけれども2人のタイムを平均したタイムでは負けないというところがうちの強み。その期待通り、やってくれました。


まずは国谷から走行開始です。アウトラップはコースチェックということもありスピードを抑えての走行でしたが、2ラップ目からは着実にタイムを上げていきます。そしてミスも少ない!他のチームが何本もパイロンタッチ(1本につき2秒ペナルティー)をしていく中、国谷・吉田ともに危なげなく周回を重ねていきます。最終的にパイロンタッチは1本だけでした。さて、国谷が担当する前半の11周もそろそろ終わりです。最後の数周では日本のトップチームにも引けをとらないタイムをマークしました。ここで吉田に交替です。ドライバー交代時にはトラブルが多発し、ここで涙を流したチームも少なくありません。見守るメンバーに緊張が走る中、危なげなく再スタートを切ることができました。もうあとは11という数を1つ1つ引き算していくのみです。吉田もまったく危なげない走りで周回を重ねていきます。長いようで短く、短いようで長かったこの1年を象徴するように、このエンデュランスも時間の感覚がおかしくなるようでした。しかし、終わりはあるのです。無事にゴールイン!完走です!よかった!本当によかった!これで全競技終了、あとは結果を待つのみです。


さて、他のチームも全て走行を終え、集合写真を撮影した後は表彰式があるのみです。富士スピードウェイ本コースのクリスタルルームに向かいます。ここで私達は、何度も名前を呼ばれる素晴らしい結果を収めることができました。


・ルーキー賞1位
日本自動車工業会 会長賞4位
スポーツマンシップ賞1位
・ベストWEBサイト賞3位


これらの4つの賞を頂くことができました。メンバー全員嬉しく思います。しかし...涙は十分ではありません。正直な気持ちを話せば、悔しさで一杯です。2003年の11月にこのチームが、4人の手によって立ち上がりました。0からのスタートということもありましたが、様々な苦難を乗り越えてきました。立ち上げメンバーには、初参加ということにとらわれず表彰台、さらには優勝という目標がありました。本気で目指していたのです。にもかかわらず、総合成績では8位という結果に終わりました。みんなの心の中には、『初参加にしては良い結果だったね、だけでは終わらせない』という目標がありました。つまり入賞・表彰台・優勝を目指してたのです。残念ながらその目標は来年に持ち越しです。悔しいですが、この気持ちをバネにして来年に向かいたいと思います。


様々な方にお礼を申し上げなければいけません。まずはこの大会を主催してくださっている自動車技術会様。本当に素晴らしい大会を毎年開催してくださり、どうもありがとうございます。次に、私達の活動を支援してくださったスポンサーの皆様。本当に暖かいご支援とご声援、どうもありがとうございました。ここまで来れたのもスポンサー様のおかげです。本当にどうもありがとうございました。そして私達を指導してくださった先生方、アドバイザーの皆様。未熟な私達に色々なものを与えてくださり、本当に感謝しております。他にも、色々な方にお礼を申し上げなければなりませんが、たくさんいすぎてどのようにこの気持ちを表してよいのかわかりません。本当にありきたりな言葉で情けありませんが、どうもありがとうございました!


今ようやく涙が流れてきました。上記の方々に謝辞の言葉を考えていると、その皆様の期待に応えることまで後一歩だったにも関わらず、そこまで行けなかった悔しさがこみ上げてきました。まだまだ涙は十分ではありません。優勝した金沢大学様のように美しく感動の涙を流せるまで、走っていかなければなりません。ひとまずこれにて速報を終わります。